東村に着きました。

原爆の日の午前8時15分を、さまざまな場所で、突っ立って過ごしてきた。知床のキャンプ場で。屋久島の海岸で。沖縄東村の青年会館前の坂の途中で。マレーシアのコンドミニアムのリビングで。山手線の電車の中で。広島の実家で。きょう、那覇の安宿「柏屋」で。目を閉じ、黙って祈る。世界の人が、おびえた目で空を見上げなくてすみますように。俺の一族をあらかた殺した、クソ原爆。知れば知るほどにね、核兵器はだめだよ。腐れたイデオロギーの世話にはならない。とにかく知り、考えること。もう「落ちて」きませんようにと祈るのではなく、人間が「落とす」愚を止める方法を考えること。そのための政治であり、政治学であり、教育であったはずだ。俺は衆愚政治のなかの民衆の一人として、こうして日記を書きつける。夜からの雨が上がった。もう9時すぎだ。