61回目の8月6日

原爆の日の午前8時15分を、さまざまな場所で、突っ立って過ごしてきた。

知床のキャンプ場で。
屋久島の海岸で。
沖縄東村の青年会館前の坂の途中で。
マレーシアのコンドミニアムのリビングで。
山手線の電車の中で。
広島の実家で。

きょう、那覇の安宿「柏屋」で。

目を閉じ、黙って祈る。
世界の人が、おびえた目で空を見上げなくてすみますように。

俺の一族をあらかた殺した、クソ原爆。


知れば知るほどにね、
核兵器はだめだよ。

腐れたイデオロギーの世話にはならない。とにかく知り、考えること。
もう「落ちて」きませんようにと祈るのではなく、人間が「落とす」愚を止める方法を考えること。

そのための政治であり、政治学であり、教育であったはずだ。

俺は衆愚政治のなかの民衆の一人として、こうして日記を書きつける。


夜からの雨が上がった。もう9時すぎだ。