口蹄疫騒ぎの悲劇は、本質的な矛盾にある

http://www.47news.jp/47topics/e/159730.php
あえて全文引用しておく。

47NEWS読者の「口蹄疫発症44例目農家の者」さんから5通目のメールが届きました。全文と写真を以下に掲載いたします。(47NEWS編集部)

みなさん、こんばんはこうやってメールを送るようになって5通目です。
口蹄疫発症44例目農家の者です。
ですが、今回でこのメールも最後だと思います、一緒に5/13から5/14まで撮った写真を添付させていただきます。

5/13
朝8:00 ついに殺処分をする獣医師の方々及び、自衛隊の方々、そして他県からの応援で来てくれた方々が農場に着きました。
そして、次々と殺処分に使用する機材や道具が運び込まれ、畜舎内を白い防護服で打合せをしながら人々が歩く様はどこか現実離れをしていました。
ガス殺処分に使用するガスボンベ、獣医師がつぎつぎと準備する薬殺処分用の薬品が入った注射器の山、電殺処分用の機材、、、、、
全ての準備を終え、殺処分が始まりました。
殺処分場所に、誘導し追い込む私と父、それを柵を持った自衛隊の方々が取り囲み、獣医よって殺処分される様、何と表現したらいいのでしょう、
上手く言葉が出てきません、悲惨です。

分娩畜舎から、授乳中の子豚をはなし連れてきた母豚を処分したとき、父は涙ながら声を荒げて叫びました、「子豚も一緒に今処分して一緒に埋めてくれ、かわいそうすぎる、引き離さないでいいだろう」と
辛いです、これは本当に辛い、しかし辛いのは私だけではありません。
殺処分の作業をする獣医師の方々もつらいのです、子豚を薬殺処分するために注射を刺すさいに、子豚が泣きわめき次第にグッタリしていく様を見ながら
「痛かったろ、ゴメンね」と、涙ぐみながら優しく両手で抱きかかえてる姿を見ました。

獣医師です、動物が好きで、その命を救うために志した道、辛いはずがありません。

そして、朝8:00に始まった殺処分は夕方6:00になっても終わることもなく翌日5/14に残りを殺処分されることになりました。


5/14
前日からの続きが始まりました。
獣医師の方々によって作られたガス殺用のガス室、そこに、次々と豚が追い込まれ、殺処分されていき、次々と運搬用のトラックへ運び込まれます。
荷台が一杯になれば、トラックは埋却場所に家畜を運搬しそこで、埋却作業をしていました。
殺処分は午前中に終わり、午後からは畜舎の消毒及び、敷地内の防疫作業へと仕事は変わりました。
畜舎の中を消毒し、そして大量にまかれる消石灰、全畜舎、敷地内の至る所は白い風景へと変わりました。

そして、5/7から8日目の5/14日、午後6:00口蹄疫発症44例目農家の殺処分対象の全殺処分及び、敷地内の防疫作業が終わりました。

この時をもって、父と母が約40年近く営んできた養豚場に終わりが来た日でもあり、我が家から消えることは無いだろうと思われた豚たちの音が消えた日でした。

これをもって、最後のメールとさせて頂きます。

2010年5月14日 口蹄疫発症44例目農家の者

宮崎県児湯郡川南町川南  丸一 隆



最後に、殺処分にあたってくれた獣医師の方々、応援で来てくださった他県の方々、そして自衛隊の方々、お疲れ様でしたありがとうございました。

そして心配して電話を下さった方々、農協関係者、経済連の方々、出荷先の会社の方々、ご心配おかけして申し訳ございませんでした。

しかし、5/14現在も口蹄疫発生農家は増え続けています。

僕たちは生きるために、日々、他の生命をいただいて食事しているわけで、その事実からは逃げられない。菜食主義者はなぜかそのことを上から目線で説くけれど、彼らの愛するベジタブルが食卓にのぼるまでにどれだけの生命(動物を含め)が奪われ、住処を追われたかについては沈黙する。地球上の生命は平等に、同じ穴のムジナだ。

犠牲に感謝し、犠牲に対し敬意をはらうことは、ヒトが自らを承認し肯定するための大切な過程のひとつだろう。

そしてこの騒ぎを見れば、現象としては「いつかは殺すはずの家畜に病気が蔓延しているので、拡大防止のために早めに殺した」ということを当事者が感傷的に述べているということになる。

世界中で食肉用に屠殺されているおびただしい数の生命と、重みは同じ?
あなた方が愛するチワワやミニチュアダックスと、畜産農家が飼っている家畜と、生命の重みは同じ?

……ペットと家畜は違う、って? お金がもらえるから? じゃあ、全額保障される畜産農家は文句を言うべきじゃない?
でも、少なくとも畜産農家は、自分とこで飼育している一頭一頭が単なる商品・生産物だとは考えられないだろう。単なる製品だと考えるのは昔からお役人の、農政の得意仕事だ。単なる製品とみなし、私情を排さなければやってられない。なぜって、彼らは「生きている」。

生命の重みと生命を管理する重みについては、根本的に矛盾がある。だって農家は、彼らを殺すことで生活してきたのだから。そして僕たちは、誰かが殺してくれたことで、自分たちの血だらけの手に気づかずにパンと肉とスープを手に入れるのだから。

矛盾した僕たちゲンダイジンがするべきなのは、「俺たちの税金で全額保障なんだからいいじゃん」と言うことではない。まぬけな農水大臣の尻をたたいて、消毒薬をゆきわたらせて口蹄疫ウイルスを根絶やしにすればいいということでもない。カネが解決するのなら国民は1次産業なんかやめて投資や運用の教育に力を入れるべきだし、薬品が解決するのなら有機農業やら「安心の野菜・肥料」なんかやめてしまわないと新たなリスクになる。

(実際、みかん農家にいたとき知り合った養鶏農家さんは、例のEMで完全有機JAS認定)による飼育を成功させつつあったのだけれど、鳥インフルエンザのときに政府から全ての飼育舎を化学薬品で消毒するよう通達がきて、その年の販路は壊滅した。鳥インフルエンザへの対応自体、政府にとって初めてのことで、少数の有機畜産農家に対する法令整備なんてあるはずもなかった。その人は、「どんなにデータを揃えて『ウチが鳥インフルにかかることは構造上ありえない』と説明しても、まるで聞く耳をもたなかった」と言った。)


口蹄疫騒ぎは確かに悲劇だ。こんなにもみんなが、他人事の評論家になってしまっていることが。
畜産業が罪つくりな仕事だなんて、そんなこと当事者は誰よりも分かっているよ。
だったら、少なくとも食物連鎖の一環である僕たちは、鎖が少しでも効果的に機能するように、間違った政府にはきちんと No を示しておかなければならない。無駄な生命なんてどこにもないけれど、生命がよりよく生きるために考えられるのは、人間のすばらしい能力であるはずだ。