「1リットルの涙」と、俺たちの周りの世界とのつながり的なものについて

映画「1リットルの涙」のモデル・木藤亜也さんの友人が、「応援サイト」の掲示板に書き込みをしている。

はじめまして 投稿者:純ちゃん 投稿日:2005/02/18(Fri) 05:32 No.291

はじまして 私は耳が聞こえません。今は、主婦に横浜市保土ヶ谷区が住んでいます。昔、木藤亜也さんに会う事をあります。
私は中学3年の時(14歳)には卒業してから春休みの時は私の実家(愛知県豊橋市)が来ましたので木藤亜也さんと山口さんに会いました。亜也ちゃんは少し、手話をできます。亜也ちゃん「私の名前は木藤亜也と言います。16歳です。手話も少し覚えた。純ちゃんは耳が聞こえないけど、手話で積極的に話をする。純ちゃんの表情は、とっても可愛い。もっと上手になって、純ちゃんと心の
友人になりたい。』
障害者の仲間は愛知県豊橋市がいますので木藤亜也さんが知っています。
自然に集まった。障害者の仲間『たんぽぽの会』と言うは人達が喫茶店へ行った。内容は旅行、京都などに行った。木藤亜也さんと一緒にいろいろな所へ周りました。私は高校の時に卒業をしてからたんぽぽの会に解散を終りました。
もう会えないだから社会人になった。木藤亜也さんは家が寂しいでした。突然、木藤亜也さんから電話をありました。びっくりした。私のお母さんと私は木藤亜也さんの家へ行った。木藤亜也さんは窓をかけました。私のお母さんと私に
亜也ちゃんの事が心配でした。木藤亜也さんは顎が転んだ。私は亜也ちゃんの事に泣きました。木藤亜也さんは『1リットルの涙』と言う。感動日記の本を泣きました。木藤亜也さんは病院に入院をした。3回目は転院のことに大変です。私は22歳の時です。木藤亜也さん(24歳の時)に会いました。この事はお見舞いです。木藤亜也さんのお母さんに会いました。亜也さんから『プレゼント(少女のお人形のペンダントをもらいました。木藤亜也さんのお母さんと亜也ちゃんからいろいろな話をした。宝物は少女の人形のことを大切に守っています。
だんだん、亜也ちゃんはだんだん、亡くなったのでニュースを聞いてびっくりした。私は仕事中を働いていたので泣きました。私は亜也ちゃんがいないだから天国へ行った。映画のことは似ています。亜也ちゃんの思い出が懐かしいでした。
これは2月11日の事に映画を見ました。映画の事は本当です。場所はテアトル地袋映画館8階です。亜也の写真はミニの展示をあります。亜也の写真をみました。
私の家族と私の友達です。映画を見て泣きました。(>_<)
終わり m(_ _)m

1リットルの涙」を観てからもう1ヶ月経った。きっとこれから、もっとたくさんの映画を観ることだろう。感動して涙を流したり、いろいろ考えたりもするだろう。
そして、ここに3週間も前の書き込みがある。もうすぐ過去ログに埋もれて読めなくなってしまうだろう。
まるでうまく言えないんだけれど、彼女の書き込みにほとんど信じられないほどの衝撃を受けた。彼女のつたない文章によって、木藤亜也という存在は「昔つらい病気で亡くなったどこかの女の子」というものから、まったく別のものに、鮮やかに入れ替わっていくような気がした。木藤亜也さんのお母さんをテレビなどで見かけるのとは、明らかに違っていた。あえて書くけれど俺は書き込みを読んで泣いてしまった。
もうこの映画を観て誰かが感動しようがドラマになろうが興味はないが、とにかくこの映画を観ることができてよかったと思った。
テアトル池袋には確かに、木藤亜也さんについての小さい展示コーナーがある。とてもいい展示だったと思う。そして題材になったモデルの周辺の人に「映画のことは本当です」と、これほどまでに力強く言い切らせる映画がどれだけあるだろうかと思う。ここには挙げていないが、主演の大西麻恵についても彼女は別のレスで「似ています。本当です」と書いていて、おそらくそれだけで一人の女優の、一生分の仕事くらいな意味が詰まってさえいるのではないかと思う。